エール

2008年07月31日



今日、午前中に留学生と話していて、「辞める」ということが話題になりました。
学校を辞める、会社を辞める。何かを、辞める。

その時の基準になるものは、何だろう、というような話しの中で、「これは私がしたいことではなかった」とか、「ここは私のいるべき場所じゃない」とか、その他人間関係とか、そのようなことで辞めてしまうのは、少しもったいない気がします。

辞めて、次に何をするの?と思ってしまう。

恥ずかしながら、僕は大学1年生の時に、同じようなことを言って大学を辞めようとしました。「ポルトガル語は、僕が本当にやりたかったことではない。だから辞めるのだ」と。辞めて、アメリカの大学に行くんだ。

けど、その後は?アメリカに行ってどうするの?何がしたいの?

多分、あの時、僕が本当に大学を辞めていたら、アメリカの大学に行くのも途中で放り出していたと思います。思いとどまらせてくれたのは当時の友人達(や先生、両親)で、今から顧みたら、その友達たちには感謝してもしきれないほどのものを負っています。

多分、そういう理由で辞めたら、次も同じ理由に追いかけられる。

もちろん、限界を大きく超えて頑張るべきではない。体に無理が来るほどの頑張りは、避けなければなりません。
けれど、少しの限界を超えたところの踏ん張りは、その人を成長させるチャンスなんだと思います。

どこが「少し」で、どこが「大きく超えた」なのかは、その人のみ知るところです。その判断を見誤ってはいけないと思います。

「私はこの大学に、会社にあまり不満はない」という人がいて、人々はその人の境遇を羨んだりしますが、多分、その人は「そういうように思えている」だけなのであって、別の人が同じ境遇にいても、同じようにハッピーだと感じられるかは分からない。そう思えるように、精神状態をコントロールできるならば、それはそれで幸せなことなんだと思います。

それで、もし辞めるのならば、お金か時間が自由にならない、こういう理由がいい、と思い至りました。

平たく言えば、「残業ばかりやのに、給料が少ない」というのは、辞める理由としては至極まっとうな気がします。

次の仕事を選ぶときに、給料がいいとか、休みが多い、というのはそれなりにサーベイできるから。

けれど、「したいことではない」という理由で辞めてしまうと、次の職場でも同じように「したいことではない」ことをさせられる可能性はあるわけでして。多分、「したいこと」ではお金は発生しないんですよね。「したくないこと」をすることで、給料が発生する、そう考えると、なんだか、「したくないことをする意味」みたいなものが腑に落ちて、少しは楽になれるのではないかしら。

僕はあまり今の環境に不満を持っていないので、こんなのほほんとしたことが言えているのだと思います。そこにいて苦しんでいる当事者の方々は、「そうじゃない!」という気持ちをお持ちだと思います。

その気持ちを、どうにかこうにかして、解決することができるといいのでしょうね。できれば、環境を変えることなく・・・。人それぞれ、解決方法を模索されるしかないと思いますが、こういうのもいいのではないかなと思いました。

書き殴り。





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