評価

2008年09月25日

最近では、「評価」というものが大流行で、うちの大学でも「個人評価」という名の下に、給与が査定される。

それは時代の流れなので仕方がない。

しかーし!

書類作成が煩雑すぎて、膨大な時間がこれの作成に費やされる。

我々教員が、学生の教育と学問の進展に寄与することを本務とするならば、この雑務は明らかに本務に悪影響を与えるものである。

これだけではない。なんちゃら調査書、かんちゃら報告書・・・延々と続く書類の数々。

本務は何ですか?と聞かれたら、躊躇無く、「書類作成です」と言えそうなくらいの量の書類が日々メールで届けられる。

”よりよい大学を目指して”というタテマエによって、我々の競争力は低下し、その結果、我々の給与が下がる、なんてことが実際に起こりうる(てか、起こってるんちゃう?)世の中。

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たとえば、授業記入欄というのがある。

一つの授業に対して、目標だの達成度だの、そう判断する根拠だのを書いていく。

多く授業を担当する先生であればあるほど、記入するのに時間がかかる。一つひとつに書いていかなければならないから。

また、”平均値”なるものをとる。例えば、ある項目で3点を取得した科目が5つ、2点の科目が2つなどという具合に計算していくのだが、これもまた、授業科目を多く開講している先生に不利に働く可能性はないか?

また、少人数に評価されるのと、大人数に評価されるのとでも随分と平均が変わる可能性があるのでは?

などと考えていくと、我々の給与は、非常に恣意的なファクターによって、それを数値化することによって”客観的に”査定されている、と言わざるを得ない。

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そもそも、大学の教員というのは、やっていることがてんでバラバラで、それを「客観的に」評価するということ自体が無理な話なのである。

1本の論文を書くと、点数が何点とか決まっているけれど、論文には分野によって数ページのものから、数十ページ、時には数百ページなんてのもある。これを全て”一本”と考えて、同じ点数にしてしまう。

また、論文が出しやすい分野と出しにくい分野もある。実験かければその結果を「論文」として公表する分野もあれば、それは「報告書」としてしか認められない分野もあって、それは多分にその学界のムードとか常識とかに左右される。

単純に考えても、医学部がやってることと、経済学部がやってることを、どうやって比べるの?

この寿司とあの中華、どっちが”客観的に”おいしい?と聞いているようなもんである。

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ま、それでもなお、我々は「自己評価」という流行にのるべくして、今日もまた多くの(読まなければならない論文よりも多くの)書類を”執筆”しているのである。



ダメ教師

2008年09月06日



最近の政治家はことばの選び方ががさつになっているなと思う。

福田さんの「あなたとは違うんです」は、ある意味暴言だと思うし、

橋下さんの「ダメ教師はやめてもらう」も、府の政策として発表するにはお粗末な表現だと思う。

同じことを言うにも、いろんな表現があると思うけれど、「ダメ」はダメでしょう。

ダメ+(人間/職業)

そもそも、そういう発想っていいのかな。

この世の中が求めない、あるいはこの世の中では必ずしも有益ではない、そういう人材はいりません。

そういう宣言ですよね。これって。

片方では、全ての人が生きやすい世の中を、とか言っておいて、やってることは、ある種の規範の中では自分をうまく表現できない人を切り捨てる。

残酷だなぁ。

橋下さんは、ダメ子供もやめてもらう、と、そのうち言いかねないのではないかとすら思える。

彼の思想の根底にあるものってそういうことだと思います。

たとえば、大阪府が彼の思惑どおりになったとしましょう。
それは、橋下ビジョンでの大阪府、ですね。

当然、このビジョンの下ではうまく生きていけない人が出てくる。子供だってそう。先生もそう。
公務員も、いろんな人がそう。

そうなった人々は、これもあくまで橋下ビジョンから見た規範の中で「ダメ」という烙印を押されて切り捨てられる。

それって、みんなにとって幸せ、なのかな。







ウィルコムとバーレーン

2008年09月05日



夏休みの間に、携帯電話に惨劇がありました。

とある地方の海へ行ったときのこと、堤防の上で写真を撮りましょうということになりました。
短パンのポッケからコロコロ、ポチャン、ブクブク・・・くじら
そしてご臨終。

その後、京都のビックカメラで機種変更をしてもらいました。
が!!

この機種が昨日、飛びました。

ぴょーん。

何もしていないのに、どのキーを押しても動かないのです。

2週間と4日の命、憐れ携帯電話。

ということで、かなりご立腹のワタクシは、ウィルコムの担当者とお話をしました。
いわゆるクレーマーですな。

ウィルコムでは、2週間以内の初期不良なら、機種を無償で変更してくれるそうですが、今回は2週間と4日ということで、本来ならば修理になる。それを今回は特別に・・・というような口調で宣った。

ちょっと待て。

そんな杓子定規な対応をしてくれとは言っていない。しかも、2週間までは会社の責任、それ以降は客の責任とでも言いたげ。

いえいえ、ウィルコムさん、ちょいとお待ちなさい。ワタクシはね、この携帯、落としてもいなければ、おかしな使い方も一切していないのです。それなのに、2週間と4日でつぶれたのです。

さて、問題。どちらが責任があるでしょう?

しかも、高いたかい機種。最低二年間使ってください、と契約時に言われました。
えーえー。使いますとも。つぶれなければね。

会社として、こんなことも言ってました。

「精密機械なので、壊れる可能性は否定できません。たとえ二週間であっても」

それも、ユーザーであるワタクシはよーく存じております。

しかしね、ウィルコムさん、それは顧客であるこちらが言うことであっても、あなたがたが言うことではないのです。
それはあたかも、「我々が売っている商品は不良品ですよ。それを承知の上で買ってね」と言わんばかり。

いいのか?それで。

あげく、クレームについては、「何をどう仰られても、金銭的な対応はいたしかねます」ですと。

あのね、ウィルコムさん。ワタクシ、一言でも「金をくれ」と言いましたか?

そういうことを言っているのではないのですよ。

もっと、人間的な対応をしてほしいと思ったのです。

「私がこのような対応をされたということを、どのような形かで、私の周りに言いますが、それでも結構ですか?」と聞いたら、
「えーどーぞ」と言われました。

ので、ここでご紹介させていただきました。

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さて、バーレーン。

明日サッカーの試合がありますね。
さっき、バーレーンの人々にインタビューしてましたが、「どちらが勝ちますか?」という質問に、

「日本が3-1で勝つ」とか代表の選手までもが「日本は強いよ~~」みたいな、超控えめなコメントをしていて、妙に好感が持てました。

日本でそんなことを言おうものなら、本当にそう思われてしまって(=字面だけを解釈するようになってしまったのです。この国は)、またバッシングの的でしょうけれど。

なんかウィルコムのお兄さんがしようとしたことって、何かの貧しさの象徴のような気がしてならないのです。




携帯電話の電源が切れて

2008年08月27日



いったい、多くの電化製品の中で、ひっきりなしに電源が入りっぱなしのものといえば、冷蔵庫、宅電、そして携帯電話。

今、電池がなくなって切れていました。

時には、誰からも連絡が来ないという確約された時間があってもいいですね。





エール

2008年07月31日



今日、午前中に留学生と話していて、「辞める」ということが話題になりました。
学校を辞める、会社を辞める。何かを、辞める。

その時の基準になるものは、何だろう、というような話しの中で、「これは私がしたいことではなかった」とか、「ここは私のいるべき場所じゃない」とか、その他人間関係とか、そのようなことで辞めてしまうのは、少しもったいない気がします。

辞めて、次に何をするの?と思ってしまう。

恥ずかしながら、僕は大学1年生の時に、同じようなことを言って大学を辞めようとしました。「ポルトガル語は、僕が本当にやりたかったことではない。だから辞めるのだ」と。辞めて、アメリカの大学に行くんだ。

けど、その後は?アメリカに行ってどうするの?何がしたいの?

多分、あの時、僕が本当に大学を辞めていたら、アメリカの大学に行くのも途中で放り出していたと思います。思いとどまらせてくれたのは当時の友人達(や先生、両親)で、今から顧みたら、その友達たちには感謝してもしきれないほどのものを負っています。

多分、そういう理由で辞めたら、次も同じ理由に追いかけられる。

もちろん、限界を大きく超えて頑張るべきではない。体に無理が来るほどの頑張りは、避けなければなりません。
けれど、少しの限界を超えたところの踏ん張りは、その人を成長させるチャンスなんだと思います。

どこが「少し」で、どこが「大きく超えた」なのかは、その人のみ知るところです。その判断を見誤ってはいけないと思います。

「私はこの大学に、会社にあまり不満はない」という人がいて、人々はその人の境遇を羨んだりしますが、多分、その人は「そういうように思えている」だけなのであって、別の人が同じ境遇にいても、同じようにハッピーだと感じられるかは分からない。そう思えるように、精神状態をコントロールできるならば、それはそれで幸せなことなんだと思います。

それで、もし辞めるのならば、お金か時間が自由にならない、こういう理由がいい、と思い至りました。

平たく言えば、「残業ばかりやのに、給料が少ない」というのは、辞める理由としては至極まっとうな気がします。

次の仕事を選ぶときに、給料がいいとか、休みが多い、というのはそれなりにサーベイできるから。

けれど、「したいことではない」という理由で辞めてしまうと、次の職場でも同じように「したいことではない」ことをさせられる可能性はあるわけでして。多分、「したいこと」ではお金は発生しないんですよね。「したくないこと」をすることで、給料が発生する、そう考えると、なんだか、「したくないことをする意味」みたいなものが腑に落ちて、少しは楽になれるのではないかしら。

僕はあまり今の環境に不満を持っていないので、こんなのほほんとしたことが言えているのだと思います。そこにいて苦しんでいる当事者の方々は、「そうじゃない!」という気持ちをお持ちだと思います。

その気持ちを、どうにかこうにかして、解決することができるといいのでしょうね。できれば、環境を変えることなく・・・。人それぞれ、解決方法を模索されるしかないと思いますが、こういうのもいいのではないかなと思いました。

書き殴り。




「知」のあり方

2008年07月28日



基礎1が終わりました。

いや、ほんとにいいクラスだった。

最後に、「授業の最初に『かっちょいい学生に(大人に)なりなさい』と言った時の、『かっちょいい』の意味は分かったか?」と聞きました。答は求めなかったけれど、それぞれに、思うことはあるのではないかしら。

そして最後に、今日は1限目でも同じ話しをしたけれど。

あなたは、なぜ勉強する(あるいは勉強しない)のだろう?

そこにどんな価値や意味があるのだろう?

それは、

「「知」とは、あなたの周りの人の苦しみを取り除いたり和らげたりするためのものである」

ということです。

多分、物事が順風満帆に進んでいる時には、「知」のありがたみは見えない。

けれど、何かに思い悩み、苦しんだ時、そこから抜け出す術やヒントは、「あなたが学んだ何か」に隠れている。それは直接的な答を与えるような形として存在していなくとも。

あなたの恋人や親友や、家族や、そういう人たちが思い苦しみ、辛い時に、あなたはありったけの知識や思考を総動員して、その人を救ってあげたいと思うでしょう?

そしてことばを紡ぐ。

そのことばは、「知」ある者にのみ降りてくる。あたかも福音のように。のほほんとした毎日を送っている者は、この波を、あの峡谷を越えることは出来ない、そう感じる。

だから、

多分、苦境に立っている、誰かが窮地に追いやられている、そういうときにこそ、「知」が活躍するのだと思う。

マクロな視点で見てみれば、それは常にそう。

経済学者の智恵は、この国を好景気へと導き、ひいてはその恩恵が我々に降り注ぐ。医者の智恵と技術は、まさしく苦しんでいる人間を救い出すためのものではないでしょうか。元気な時にはお世話にならない。

文学部で得た「知」は、もっとミクロに、それでいてとても意味のある形で、だけれどもとてもつかみ所なく抽象的で、じわじわと人の心に響くのです。

そういうことは、「知」をつかみ取ろうと、もがき苦しんだ者に、いつか実体験として落ちてくる。きっとそう思う。

「知」を得るために、苦しんでみる、そういう作業が、人を「知」の世界へと誘うのだと思う。

今学期も、最後まで授業を聞きに来てくれたみなさん。どうもありがとう。(今日は出席をとらないと言っていたのに、1限目は15人くらいの学生が来てくれました。)

追伸:テレビでは、琵琶湖での鳥人間コンテストの最中に突風が吹き荒れたとか、福井では人が亡くなったとか、言っておりましたが、岡山でも本日すごい落雷と風雨の時間がありました。

おかげで、建物のアンテナがあさっての方向を向いたらしく、テレビが映りません。よりによってキラキラの放送日に・・・icon11




2008年07月04日



今日は3限5限と立て続けに同じクラスの授業があって、4限に会議があった後、ちょっと時間があったので、学生さんたちと話した。とてもよかった。

さらに、KMさんから、彼女が書いた脚本の原稿をもらった。読んでほしいと思ってくれたことが、これまたうれしいじゃないですか。
作家志望だそうです。がんばってほしい。応援します。

その後、OTさんと食事、打ち合わせ。うぃー。





紫陽花で食中毒!?

2008年06月22日



紫陽花で食中毒になるんですって!!!お気をつけあれ。こちら

しかし、基本的に日本料理のお皿には食べられないものは載せないのが基本だそうですから、これはお店側のミスなんでしょうねぇぇ。




ダムを造って?

2008年06月22日



昨日の毎日新聞のニュースの一面でしたが、淀川水系のダム建設を国交省が反対意見を無視して推進、みたいな。

ダムを造ると色んな環境の変化が出ますよ。

岡山でも、川にダムを造ると、瀬戸内海で海苔の色が落ちたり、不作になったり。

そういうことは恐らく分かっているのに、多分「因果がない」とか「科学的根拠がない」とかいう理由で、推進されてしまう。

けれど、正確に言えば、「因果があるかもしれない」し、「科学的根拠がない、と言い切る科学的根拠もない」ので、そうならば、環境のことを考えるなら、この環境問題がきゃーきゃー言われている御時世に、わざわざダムを造ることもないのに、と思いませんか?特に、余呉の辺から琵琶湖に流れ入る川に作る、あの計画、なんとか白紙にならないのか。

地元の自治体は歓迎だそうですね。嘉田さんは「残念だ」とのコメント。

もう一つ気になるのは、反対意見を無視する、というやり方。これで物事が全て進んでいったら、これからどうなるのでしょうね?日本は一応「民主主義」を標榜しているだけに、なんかあったら「国民によって選ばれた・・・」とか言われるのが空恐ろしい・・・。

何でもかんでも最終的に「国民のせい」になっちゃうのかしら~kao04



タグ :ダム

橋下君の・・・

2008年05月21日

大阪知事は、無駄なもの、金がかかるものをじゃんじゃん売却してますね。

そしたら、お隣の京都にでも、大阪府をお売りになったらどうでしょう?